時が流れてゆく。だれの上にも公平な時が。
 その時のなかで、大津は、草壁を何度、極みへ導いただろうか。自身、何度極みを迎えただろうか。
「草壁、草壁……」
 大津はうわごとのように繰り返した。もう、他にことばはなかった。ただ、愛しい名を呼び続ける。しかし、草壁にはすでに答えられるだけの力は残っていないのか、ただ、かすかに喘ぐことしかしない。ぐったりと横たわる身体に、大津は愛撫を繰り返す。声にもならない呻きを洩らしながら、草壁の身体はやはりその愛撫に応えはじめる。
 ――ひとつに、なりたい……。
 探り当てた、その一点が、大津に再び力を与えた。
 そのとき。
 ――……!
 大津は、鶏鳴を聞いた。
 夜が、明ける。
 ――『大津……、夜が明けるまでの、それまでの……』
 だが、大津にはそんなことはどうでもよかった。かれは、今、恋人の身体に溺れこんでいた。
 大津は、草壁のなかに押し入ろうと身じろぎした。
 愛していると、最後の、そして最も大切な一言を、草壁の身体に告げようとした。
 しかし、草壁は、それまで、ぐったりとしていたとは思えない力強さで大津の身体を押し戻し、自身の夜着に手をのばした。
「草壁……」
 大津はそんな草壁の行動を、力づくで押し止め、耳元でささやいた。
「欲しい……」
「離せ、大津。もう、夜が明ける。もう、何もかも終わったのだ……、大津……!」
 大津の手は、草壁自身を強く愛撫しつづける。執拗に指を絡ませる。草壁は再び襲う強い誘惑に必死で抗うようにくちびるを噛み、大津の手をつかんだ。
 大津は、手を止め、草壁の顔を覗き込んだ。
 草壁の顔には疲労の色が濃い。しかし、大津はその手にたしかに草壁が誘惑と戦っている証を感じていた。 
「草壁、欲しい、おまえが欲しい……、今、この望みがかなうなら、おれは命に代えてもいい……、草壁、吾妹子……」
 大津は、草壁の耳元でつよくささやいた。そのまま抱きすくめ、接吻の雨を降らせながら、再び組み敷こうと力をこめる。
 しかし、草壁の抵抗は強かった。
「大津、頼む、逃げてくれ……、早く……! 今なら、まだ暗いうちならここから無事に出ることができる。しかし、明るくなってしまえば、生きて出ることはかなわない……」
 大津は押し戻されて、自然と身体が離れた。草壁は、大津の身体が離れると、そのまま背を向けて、夜着を羽織った。手早く帯を拾いあげると、腰に巻きつける。しかし、大津も、また、その行動を許さなかった。背中から手を回し、その手を押さえ、夜着ごしに熱く滾ったものを押しつけた。
「大津、……あ……、ダメだ、やめろ……、いやだ……、もうこれ以上わたしに触れないでくれ……、おまえを離したくなくなる、おまえの命よりも何よりも、この快楽を追ってしまいたくなる……、大津……!」
 強く抱きしめ、肩を引く。
「草壁!」
「大津、やめてくれ! 頼むから、早く逃げてくれ……!」
「いやだ! それぐらいなら、ここでおまえと心中する……!」
 大津は、やみくもに力をこめて、草壁を抱きしめた。
 今しかない。もし、今、この機会を逃せばこの半身は永遠に失われてしまう。大津は思った。再び引き離され、二度と触れられない。
 ――これほどに、いとしいのに……!
「不可能だ! どちらかが死ななければならないのではない、わたしかおまえか、どちらかが生き残らなければならない、天皇家の血を強く引く子供が、二人ながら死ぬことは許されない。それとも、おまえがここでわたしを殺すか……? もう遅い、もう遅いのだ、大津……!!」
 草壁は、激しくあらがったが、今度は、大津は容赦しなかった。草壁の身体を自身に巻き込むように抱き、身体を返して再び床に押し倒した。大津の残した愛撫のあとも生々しいその白い胸が露になる。
「なぜだ、草壁? なぜ、遅いのだ。いまならまだ間に合う。いまなら、もろともに夢を見ることができる。
 愛している、草壁……!」
 言いながら、大津は草壁の乳首を吸った。舌を這わせ、歯で擦る。その手は、さらに執拗に草壁をまさぐった。
「大津、何も言わず、早くここから逃げてくれ! でなければ、おまえは……」
 しかし、草壁の言葉はそこで途切れた。
「愛してる……」
 大津は、繰り返した。草壁の身体から力が抜ける。
「草壁……」
 ついに、草壁は、足を開き、腰を浮かせた。
「大、……津……」
 草壁の口から、溜息のような声が洩れる。
 大津の指が再び、草壁を探り当てる。楔が、打ち込まれるべき場所を見出だす。
 ――草壁……。愛している……!
「皇太子さま」
 板戸の向こうで女の声がしたのは、まさにその瞬間だった。
 草壁の身体が、信じられない素早さで動いて、大津の身体を押し退け、部屋の陰へ追い込んだ。
「草壁……」
 大津は、衣服をかき集めてその身を隠しながら言った。
「静かに……! なんだ、女官長。こんな朝早くに」
 草壁の変わり身は早かった。何もなかったような、少し眠たげな声で応える。それに老いた女の声が応えた。
「つい先刻、藤原史さまよりお使いがございまして、お文を」
「わかった、いま行く。隣の部屋の文机のうえに置いておいてくれ。少し、冷える。火桶を持ってきてくれないか」
「かしこまりました」
 女が立ち去る気配がなくなるまで、大津はじっと息を殺していた。
 その足音が遠く去ったとき、草壁が言った。
「もう、宮の者たちは動き始めている。大津、わたしはおまえを殺したくない。また、逢える。きっと逢うことができる。だから、今日はこのまま行ってくれ、頼む。そこにある薄絹を被っていけば、この宮の門までは出られる。そこから先は、先導に紺色の衣をつけた男をつける。それのあとについていってくれ」
「わかった」
 手早く、衣服をつけながら大津が言った。すでに、時は甘美な力を失い、二人の男を引き離していた。
「いつか、連絡する。きっと……」
 草壁はかき合せただけの衣服を関節が白くなるほど握りしめていた。衣服をつけ終わった大津は、そんな草壁に軽く接吻し、微笑んだ。
「草壁。愛している」
「早く行ってくれ、大津!」
 草壁が言うより早く、大津は部屋を出た。





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