四
「草壁――?」
大津が口をきくより早く、草壁は夢中で大津のくちびるに自分のくちびるを押し当てた。十五年間の思いがついに堰を切ってあふれだした。かつて、だれともかわしたことのない激しいくちづけ。からみあう舌、息、心。思うさま貪った草壁は、やがてそのくちづける先を変え、大津の苦しげに閉ざされたまぶたに触れた。そして、ささやく。
「もう、何年になるだろう。大津……、わたしはずっと……ずっと待っていたのだ……。こうしておまえを抱きしめ、おまえと……、大津……!!」
大津のくちびるが、草壁の白いのどに触れ、強く吸い上げた。それが、了解の合図だった。
大津のごつごつした肉の厚い手が、草壁の身体をぎこちなく撫でてゆく。夜着の衿をくつろげ、そっと触れてはためらうように引いた。しかし、草壁にとってはそれで十分だった。かすかなため息が自然に洩れ、われ知らぬうちに大津を誘う。大津もまた、それに気づいて軽く小さなくちづけを繰り返した。そして、手の動きは次第に滑らかになり、ついで激しくなった。
「大津……、夜が明けるまでの、それまでの……」
からませる腕、足、言葉。
「夜明けまでは長い……時間は十分にある……、草壁……」
夜は更けてゆく。
極みと奈落、その一夜で草壁は何度それを味わっただろうか。一度めのそれを味わってからあとは、大津にためらいはなくなった。むさぼるように繰り返される愛撫、その度に身内を駆け抜ける絶頂感。草壁は、声をあげ続け、大津は草壁の身体にくまなく触れてはくちづけのあとを刻み続けた。
しかし、そんな狂宴のさなかでさえ、草壁は自分のなかに醒めた一角があるのを否定できなかった。大津の手がその身体に触れるたびにあえぎ声をあげながら、かれは夜が明けてからのことを考えていた。
草壁が生きたまま夜明けを迎えること、それは取りもなおさず大津の死を意味する。神は一人でよい。唯一絶対の存在はひとつきりでよいのだ。
ふと、大津が洩らした言葉を思い出す。
『おれには、二人目の子だ。今度は皇女がいいな。山辺に似て、優しく、情の深い女の子が……』
そして、そのうっとりとした目を。
いま、この一瞬こそ大津は草壁のものだった。
が、その恋人は、夜が明ければ草壁のもとを去っていく。かれを待つ女たちのために。
すでに否定することはできない。草壁は、ずっと子供のころから大津に恋してきた。大津以外のだれも考えられなかったのだ。母の言うままに叔母である阿閉皇女を娶り、二児をもうけているが、それは単に必要に迫られてのことであった。愛し、望んで妃にしたわけではない。
あの桑名の郡家で、熱が引いた大津がいつもまぶしそうに草壁を見るようになった、そして目が合うと顔を赤らめてそっぽをむくようになったそのときから、草壁にとって大津は特別な存在になったのだった。
やがて成長し、大津がごく自然に恋をし、宮廷一の貴公子になり、子供のころの微妙な心の揺れ動きなどすっかり忘れてしまっても、いや、忘れてしまったからこそ、草壁は大津を見つめ続けることができた。はじめは病気がちなために、そしてのちには明らかな思惑のために、草壁は御簾を通してじっと見つめ続けることだけを許された。しかし、かれはその気持ちのなかに肉体に対する欲望を感じたことはなかった。
草壁が、その気持ちのなかに、肉欲が萌し始めたことを意識したのはいつだっただろうか。
あれは、たしか阿閉皇女との初夜だった。乳母に事細かに教えられて、いざ阿閉を抱いたとき、草壁は最後の瞬間に大津の顔を思い浮べたのだった。
「草壁、草壁……」
大津がうわごとのように繰り返す。長い間夢見続けてきたそのささやき。かれの息がかかる部分はどこもかしこも熱く燃え上がった。意識ははっきりしていたが、それは内に向かう部分であって、外に開かれている部分はすべて霞がかかっているように疲れ切っていた。何度めかの絶頂のあと、しかし大津はまったく倦むことなく草壁に挑んできた。おそらく、身体をつなぐすべを知らないのであろう、大津は一度も草壁を犯さなかった。その大津の指が、初めて草壁の背後にある唯一受け入れることのできる場所を探り当てた。
「……!」
草壁の身体は、初めて強く張りつめた。大津の骨太の指がゆっくりと侵入してくる。
「あ……、ああ……」
大津は、なすべきことに気づいたのだろう、指を抜くと、真っすぐに草壁におおいかぶさってきた。
そのとき。
時を現実に戻す鶏鳴があった。