第3章(2)



再び皇極四年六月十二日



 しかし、打合せた瞬間が来ても、刺客はあらわれなかった。
 ――なぜだ……!
 思った瞬間、中大兄は、反射的に剣を抜き、身を踊らせた。
「大臣、覚悟……!」
 式場は、騒然とした。
「な……!」
 大臣は、中大兄の第一撃をかろうじて避けたが、そのまま仰向けに倒れた。
 ――死ね……!
 手応えがあった。
 撃ち下した剣はぐにゃりと肉に食いこみ、血が飛散した。
 骨にあたったらしい衝撃に手首がしびれた。足元の獲物は、しかし、まだ逃げようと身をくねらせた。
 再び剣を振りあげる。
 刃を伝って血が手を濡らした。その生温かさが中大兄を酔わせた。
 二撃目には刃先は腹をえぐった。三、四、五、六……。中大兄は悦びに瞳を輝かせ、剣を撃ち下ろし続けた。狩の獲物を切り分けるときといくばくの差異もない感触が、かれをさらにあおった。
 すでに、敵は一個の物体と化していた。
「鞍作(蘇我入鹿)、尽に天宗を滅ぼし将に日の位を傾けむとす。豈に天孫を以ちて鞍作に代えめや」
 返り血を浴び、血糊のついた剣を手にした中大兄皇子は高らかに言った。
 勝利の瞬間だった。





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