結
蘇我本宗家が滅んだのは、よく六月十三日のことだった。邸内に保存されていたといわれるすべての財宝、古記録もまた、その滅亡と運命をともにした。
焼け跡には、焦げた死体が山とつまれていた。その数が、蘇我の力のすべてだった。逆賊として滅びてゆく氏族に、それでもつき従ったその人々。それは、中大兄がこれから築いていかなければならない第一のものだった。
「蘇我入鹿……」
焼け跡に立って、中大兄はつぶやいた。その傍らには、中臣鎌足がいた。ほかには、鎮魂のための僧侶が数人つき従っている。
「そして、蝦夷」
その声にかぶさるように、僧の唱える経が始まった。死を払い清め、新たなヤマトを創るための儀式だ。
「入鹿には、子はなかったのか……?」
中大兄は、傍らに立つ鎌足にたずねるともなくたずねた。そこに積まれた死体には、こどものものはなかった。女も数えるほどしかない。少なくとも、蝦夷は女とこどもは逃がしたのだ。それでは、逃げたこどもの中に、蘇我本宗家の血を引くこどもがいたかもしれない。
「おりません。理由は定かではありませんが、入鹿は正妻さえもちませんでした」
「自信ありげだな、鎌足」
「時がたてば、それが真実だとおわかりになります」
「よかろう」
言って、中大兄は甘橿の岡をもう一度見渡した。足元には、飛鳥の地を見下ろす。
「宮に戻る」
中大兄はいうと、先にたって歩き始めた。ふと、馬を引いてきた舎人を見る。それは、十四年間見てきた男の顔ではなかった。
『……中臣殿をお近づけになるのは、おやめになってはいかがですか』
『決して、よいことではありません』
それが、中大兄の聞いた速田の最後の意志だった。
なぜなら、速田はその日を境に、中大兄の宮から消えた。その消息を中大兄が知ったのは、一月以上もたってからだった。速田は、蘇我大臣にとらえられていたのだった。
理由は、いまもって定かではない。
考えられることといえば、蘇我大臣が、東国に地盤を固めるために、その族長の直系である速田を使おうと画策したのではないかということだった。
鎌足の進言にしたがって、中大兄は速田を甘橿の岡から救いだした。たかが、舎人一人の命に未練はなかったが、中大兄は、とにかく鎌足の進言はすべていれる決心をしていたのである。救いだした速田は、のどをつぶされて声を失っていた。
「鎌足」
馬に飛び乗り、中大兄はもう一度、傍らの長身の美貌の男を見た。
「次は、何が望みだ?」
鎌足は表情も変えなかった。
「中大兄皇子さまを、大王の座に」
変わらない表情の向こうで、いったい何を画策しているのか、それは中大兄にも見当がつかなかった。