「……」
鎌足はゆっくりと皇子に近づいた。そのまま、皇子の腕をつかみ、その上体をひき起こした。
起きまいとした中大兄のささやかな抵抗、その瞳にかすかに浮かんだ恐怖の色、すべてを鎌足は無視した。片膝をついた姿勢のまま、力に任せて、その細い身体を抱きしめようと腕を回す。
中大兄の体は、たやすく鎌足の腕の中にあった。
「……」
叫ぶだろうと、鎌足は思った。力ずくの凌辱のしるしは、まだ皇子の身体に生々しく残っている。押さえ付けた鎌足の指の跡、そして、無数のくちづけの跡。
しかし、皇子は抗うのをやめ、醒めた声で、言った。
「放せ」
その瞬間、鎌足は皇子の身体が静かに、しかし、たしかに青く燃えるのを感じた。
――血が、燃えるのか……?
鎌足は、中大兄を解放した。皇子は、ゆるんだ腕からずり落ちるようにその身体を夜具のうえに投げ出した。
「叔父から、何もかも聞いているはずだ……」
炎が、皇子の身体を包み込んだ。鎌足は、一瞬身体を引いた。平伏しそうになった自分をようやくの思いで押し止める。
しかし、皇子はそんな鎌足の様子に気づかなかったらしく、言葉を続けた。
「たとえば、……」
右肘で身体をささえ、左手で額に落ちかかる髪をかきあげる。
一瞬、髪に隠された瞳が再びあらわれたときには、それは男を誘う目になっていた。
その手が、ゆっくりと、鎌足の愛撫の残したあざをたどる。その手の動きにしたがって、燃え上がった青い炎は妖しく揺らめき、ゆっくりと月の光と溶け合っていった。
あとには、皇子の白い裸身と、鎌足の愛撫の残した薄紅いあざが残った。
それは、月の光に映えて、鎌足を狂乱の渦へと引き入れようとする。
「すべて伺っております」
その、再び力を増す衝動を感じながら、鎌足は答えた。
――『すべて』が、何を意味するかに気づかない男ではない。
鎌足は、きちんと結んでいた上着の紐を解いた。もう一度、目の前で誘いをかけている青年を抱くために。
――『中大兄』。大王位の継承権を表す大兄の称号を持ってはいるが、それは所詮『中』、古人大兄皇子の次に過ぎない。
いま、この飛鳥に、中大兄という名の皇子が生きていることなど、だれも気に留めることはない。そう、たったひとりをのぞいては……。
――そして。
この皇子は、手負いの獣だ。
傷を負った獣は、差し伸べられる手を、ただ、受け入れることなどできはしない。
では、どうするか。こたえは簡単だ。
――追いつめていけばよい。
決して、逃がさぬ。
――この皇子の身体に流れる血のためならば。
鎌足は情欲の炎が、勢いを取り戻し始めるのを感じながら立ち上がった。
五年の歳月をかけて積み重ねてきた、さまざまなものの、最後の手、中大兄皇子。この皇子の存在を知ったことから、鎌足の行動は始まったのだ。
『復讐を』
『わたしを、このような存在にした、すべてのものに復讐を』
鎌足は、皇子の方へゆっくりと一歩を踏みだした。
――肌を合わせ、わたしに屈するがよい。
衆道に長けたのは、好き好んでではない。しかし、その手管が役に立つというなら、役に立てればいいのだ。鎌足の望みは、そんなことで翻せるほど浅くはない。
「触れるな!」
その鎌足の様子に、皇子は一瞬身を引いた。
――その身体だけが、自分の存在価値だと思うなら、それもよし。
鎌足は、その腕をつかんで引き起こした。
「いやだ!」
鎌足は、その手を払いのけようとした皇子を、逆にその腕のなかに抱き込んだ。顎に手をかけ、その瞳を覗き込む。
皇子の目は、怯えていた。怯えながら、しかしその怯えを懸命に押さえようとしている。
「すべて、伺いました。その上で、中大兄皇子さまを大王に、と申し上げたのでございます」
「――」
皇子は一瞬、沈黙した。そしてあえぐように、その手を咽喉に当て、何度か口を開きかけてはやめた。
しかし、次には目を伏せ、吐き捨てるように言った。
「無理だ」
くちびるを噛み、繰り返す。
「無理に決まっている……!」
本気で、そう思っているのでないことはすぐわかった。この皇子の内には、たしかに、大王の座に対する野心がある。鎌足の中に、復讐の炎が燃えているように。
「いずれ、母は死ぬ。その時、跡を継ぐのは古人だ。山背大兄王を殺したのもそのためだ、どこに、わたしの割り込む余地がある? 第一……」
しかし、皇子はそこで口を閉ざした。この、美しく誇り高い皇子の秘密、その身体に流れる血が、先代の大王の血ではなく、しがない舎人の血であるということ……。
しかし、その舎人は、百年の昔この日本を支配した尊い男鹿王朝の第一王位継承者だった。南の新興の大王家など足元にも寄れぬ、その血。そして、その同じ血が、鎌足にも流れている。
「血統ならば、あなたさまの方が上でございま……」
言いかけた鎌足を、皇子は凄まじい力で跳ねとばした。
「言うな、中臣!」
つい先刻までけだるげに横たわっていたとは思えぬ激しさで、皇子は跳ねとんだ鎌足に取りつき、右手で胸倉をつかんだ。
「言うな……!」
――憎悪……。
「出てゆけ……!」
あいたほうの手で板戸の向こうを指さす皇子を、鎌足はふと、美しいと思った。怒りのあまりか、血の気のひいた顔は引きつっている。しかし、再び燃え上がった青い炎のその美しさはどうだ……?
この男に、男鹿の血を誇れというのは無駄だ。その身体に流れる半分の男鹿の血が、この男の大王への野心を妨げているのだから。
「あなたはわたくしの戦利品ではないのですか」
口の中に血の味が広がった。くちびるの端が切れたのだろう。それは、苦く、また甘かった。
「叔父君、軽王。憎くはありませんか」
口元に、自然と笑いが浮かんだ。はりめぐらせた網を次第に縮めていく快感。かつて、鎌足を買った男も、こうしてこの快感に酔ったのだろうか? あの、甘橿の丘ですべてを見下ろしている男も……。鎌足は、いま、ヤマトのすべてを握っている、何も知らない幸福な男の顔を思った。精悍な、精力的な男。すべてに恵まれ、また、恵まれていることにまったく気づかない男を。鎌足に、憎悪と羨望と、その他人間の持つもっとも醜くみじめな感情のすべてに気づかせた男を。
「……」
皇子は、沈黙した。
かつて、鎌足がそうしたように……。
――あの時、わたしは、それが罠だと知っていた。知っていて、身を委ねるしか道がなかった。今、この目の前にいる男はどうだろうか……?
あの時、鎌足は野心すら持つことを許されなかった。しかし、いま目の前にいる『中大兄』の称号を持つ男は、許されぬ野心に手を伸ばそうとしている。
――それさえも、幸福なことだと、この男は気づくことがあるだろうか……?
皇子の身体に腕を回す。鎌足は、ひとつひとつの愛撫が、目の前にいる男を絡め取るための網だと知っていた。皇子の口からあえぎとも叫びともつかぬ声が上がった。背を撫で上げ、また撫で下ろす。
皇子は、その野心を、どれほど高い代償を払って買い求めることになるかを知らない。
だからこそ感じる『迷い』。
「甘美な誘惑だな、中臣……」
背筋を下からこすり上げると、皇子の息は簡単に乱れた。四年の月日は、身体が熟すには十分の月日だ。この身体もまた、抱かれることに歓びを感じずにはおれない身体だ。それは、鎌足自身の思い出でもあった。
「皇子さまのお心ひとつで、大王の座を手に入れることが出来ます」
鎌足はささやきながら、皇子の耳たぶにくちづけた。
「……!」
すでに皇子の身体はその愛撫に応え始めていた。
「そして、復讐も」
触れれば、うなずく。鎌足は、皇子の身体にゆっくりとくちびるを這わせた。その肌はなめらかに、鎌足の舌に吸いついてくる。ついさっきの交情が、征服のための戦いだったなら、これからの営みはゆっくりとしみわたる甘い毒だ。
「……!」
皇子の身体が引きつった。快楽がその身体を麻痺させてゆく。
――こころゆくまで飲み干すがいい。この身体の隅々まで、しみ込ませてやろう。
快楽という地獄の責苦を……。
置き場所は、悩んだんですけどね。習作というか、断片というか……。
いえ、3,000hit祭りのえっちエンディングのために昔の文章とか探索してて見つけました。
つかえないかなあ、と思ったんですが、これは無理そうですね。他にも、探索中です。
およそを回っても、自分の琴線に触れるものを見つける前に疲労困憊してしまうので
とりあえず、自分が書いたものを回ってみました。
それにしても、書いてる書いてる。アライ、そんなにエロが好きか???